10.08.2014

断片的なものの社会学 第8回「笑いと自由」


岸 政彦


第8回「笑いと自由」


本ブログで2013年末から1年間にわたって連載していた『断片的なものの社会学』が、このたび書籍になります。2015年6月はじめから書店店頭に並ぶ予定です。これまで連載を読んでくださってありがとうございました。書き下ろし4本に、『新潮』および『早稲田文学』掲載のエッセイを加えて1冊になります。どうぞよろしくお願いいたします!(編集部)


先日、ある地方議会で、男性議員からの、女性議員に対するとても深刻なセクハラヤジがあり、メディアでも大きく取り上げられて問題になっていたが、そのとき印象的だったのは、ヤジを飛ばされているちょうどそのとき、その女性議員がかすかに笑ったことだった。

あの笑いはいったい何だろうと考えている。

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仕事でも、あるいは個人的にも、いろんな人たちとお付き合いがあり、なかでも自分の研究や教育、社会活動の関係で、いわゆるマイノリティとか差別とか人権とかそういう活動をしている人たちと友だちになることが多い。





ある在日コリアンの男性で、私が心から尊敬して信頼している友人がいるのだが、彼がいつもくだらないことばかり言う。さすがに詳しくはここでは書けないが、非常に不謹慎で、自虐的なネタを言うことも多い。携帯に着信があって取ると「こんにちは、北朝鮮のスパイですけど」とか言われる。不謹慎以前にスベっていることも多く、どう返していいかわからないので、大半は何か適当にごにょごにょとつぶやいている。彼のふだんの、真面目で地道で真摯な活動をよく知っているだけに、いつも困る。

沖縄で、基地問題や沖縄戦の研究で非常に著名な方から、「内地留学」のお話を伺ったことがある。沖縄では、復帰前に本土の大学や大学院に進学することを、「内地留学」とか「本土進学」という言い方をしていた。本土へ来るのにパスポートが必要な時代だった。自分の家族と親戚がいちどだけ、わざわざ沖縄から会いに来たことがあって、東京の繁華街の真ん中で待ち合わせたときに「向うのほうから真っ黒い顔の集団がやってきて、どこの土人かと思ったら、僕の家族だったよ」と言って大笑いをしていた。私は曖昧かつ間抜けな笑みをうかべて、あははと小さく笑うしかなかった。

部落問題について研究している連れ合いの齋藤直子が、関西のある被差別部落の青年会の人たちと車で一緒に移動しているときに、また別のもうひとつの被差別部落の横を通りかかったら、青年たちが「なんか臭いな」「なんか臭いで」「ここ部落ちゃうか」「ここ部落やで」と言いながら大笑いしていたそうだ。

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仕事のせいで、部落や沖縄の話が多くなってしまうのだが、もちろん特定の差別問題や社会問題に関係するところでだけ、こうした笑いが生まれるのではない。それはそこらじゅうに、ほんとうにいたるところにある。

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私には子どもができない。重度の無精子症だからだ。あるとき連れ合いが、病院から検査結果を、泣きじゃくりながらもって帰ってきたとき、私はその話を聞きながらぼんやりと、「おれ安全だったんや、結婚する前にもっと遊べばよかった」と思っていた。

いや、そうではなく、もっと正確にいうと、「これは『おれ安全だったんや、結婚する前にもっと遊べばよかった』というネタにできるな」ということを考えていたのだ。私は咄嗟に、この話をどうすれば笑いを取れるネタにできるかを考えていた。

私は咄嗟に、無意識に、瞬間的に、その話をネタにすることで、どうにかそのことに耐えることができた。もちろん、それから何年か経つが、そのことと「折り合い」をつけることはいまだにできない。ただ、私たちは、人生のなかでどうしても折り合いのつかないことを、笑ってやりすごすことができる。必ずしもひとに言わないまでも、自分のなかで自分のことを笑うことで、私たちは自分というこのどうしようもないものとなんとか付き合っていける。

それはその場限りの、はかない、一瞬のものだが、それでもその一瞬をつなげていくことで、なんとかこの人生というものを続けていくことができる。

ちなみに、たまに授業や講演などで自分自身の話をすることがあるが、「それ聞いたとき、『おれ安全だったんや、結婚する前にもっと遊べばよかった』って思ってん」と話すのだが、いままで一度も笑いを取れたことがない。

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私たちは私たちの人生に縛りつけられている。私たちは自分の人生をイチから選ぶことができない。なにかとても理不尽ないきさつによって、ある特定の時代の特定の場所に生まれ、さまざまな「不充分さ」をかかえたこの私というものに閉じこめられて、一生を生きるしかない。私たちが生きるしかないこの人生というものは、しばしばとても辛いものである。

なにかに傷ついたとき、なにかに傷つけられたとき、人はまず、黙り込む。ぐっと我慢をして、耐える。あるいは、反射的に怒る。怒鳴ったり、言い返したり、睨んだりする。時には手が出てしまうこともある。

しかし、笑うこともできる。

辛いときの反射的な笑いも、当事者によってネタにされた自虐的な笑いも、どちらも私は、人間の自由というもの、そのものだと思う。人間の自由は、無限の可能性や、かけがえのない自己実現などといったお題目とは関係がない。それは、そういう大きな、勇ましい物語のなかにはない。

少なくとも私たちには、もっとも辛いそのときに、笑う自由がある。もっとも辛い状況のまっただ中でさえ、そこに縛られない自由がある。人が自由である、ということは、選択肢がたくさんあるとか、可能性がたくさんあるとか、そういうことではない。ギリギリまで切り詰められた現実の果てで、もうひとつだけ何かが残されて、そこにある。それが自由というものだ。

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当事者だけとは限らない。言葉というものは、単なる道具ではなく、切れば血が出る。そうした言葉を「受け取ってしまった」人びとも、もはや他人ではない。

人の語りを聞くということは、ある人生のなかに入っていくということである。

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私は、ひどい話を聞いたときに笑う癖がどうしても抜けない。さいきん、貧しい地域などでさまざまな支援活動をしているひとたちから、「岸さんの好きそうな話があるんですけど」とよく言われる。聞くと、貧困と暴力の、ひどい話だったりする。「いや、別にそういうのが好きなわけじゃないんですが……」自分でも気付かないうちに、そういう話を聞きながらよく笑っているので、誤解されているようだ。





それがどういう笑いかを説明するのは難しい。もちろん、ひどい話を聞いて、それを嘲って笑っているのではない。だが、そういうときに反射的に、短く鋭い、乾いた笑い声をたててしまう。

私は、他人が苦しんでいる話を聞いたとき、それがひどい話であるほど、安易に泣いたり怒ったりしたくない。だから、ひどい話を聞いて揺さぶられた感情が、出口を探して、笑いになって出てくるのかもしれない。

末井昭さんの『自殺』という本がある。末井さんの母親は、若いときに愛人とダイナマイトで心中している。母親が木っ端みじんになっているのである。この体験をしばらく誰にも話せなかったが、あるとき、篠原勝之さんに思い切って話したときに、彼が笑いながら聞いたという。そして、そのことで、その話を他人に話すことが、かなり楽になったという。

私の笑いが、この笑いと同じだと言っているのではない。ただ、いつも考えるのは、このとき篠原勝之さんが「わざと笑った」としたら、どうだっただろう、ということだ。おそらくそれは、末井さんを深く傷つける結果に終わり、そして末井さんは誰にもこの体験を話すことができなくなって、そしてこの素晴らしい本も生まれなかっただろう。

私の勝手な想像だが、篠原勝之さんはその話を聞いて、馬鹿にしたのでも、表面的に面白がったのでもなかったのだと思う。ただもう、その話を聞いて、笑うしかなかったのだ。

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私たちは、つらい状況におちいったとき、ひたすらそのことに苦しみ、我慢し、歯を食いしばって耐える。そうすることで私たちは、「被害者」のようなものになっていく。

あるいはまた、私たちは、正面から闘い、異議申し立てをおこない、あらゆる手段に訴えて、なんとかその状況を覆そうとする。そのとき私たちは、「抵抗者」になっている。

しかし私たちは、そうしたいくつかの選択肢から逃れることもできる。どうしても逃れられない運命のただ中でふと漏らされる、不謹慎な笑いは、人間の自由というものの、ひとつの象徴的なあらわれである。そしてそういう自由は、被害者の苦しみのなかにも、抵抗する者の勇気ある闘いのなかにも存在する。

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アーシュラ・ル=グウィンの『ゲド戦記』第4巻に、とても印象的なシーンがある。大魔法使いゲドの「伴侶」であるテナーという女性は、テルーという里子を育てている。テルーは、まだ小さな子どもだが、言葉では言えないような陰惨なことをされて、顔の半分がケロイドのようにただれている。テナーは、心に難しいところをたくさん抱えるテルーを心から愛している。もちろんその顔の傷も一緒に愛を注いでいる。

しかし、こんなシーンがある。ある夜テナーは、ぐっすりと寝ているテルーの寝顔を見ているうちに、ふと、手のひらで顔のケロイドを覆い隠す。そこには美しい肌をした子どもの寝顔があらわれる。

テナーはすぐに手を離して、何も気付かず寝ているテルーの顔の傷跡にキスをする。

笑いとはあまり関係のないシーンだが、私はこのシーンに、私がここで言いたかったことがすべて描かれていると思う。テナーはテルーの傷跡もふくめて、その全てを愛している。でも、あるときふと、その傷跡を手で隠して、きれいな顔のテルーを想像する。それは誰にも知られない、ほんの一瞬のことだが、この描写によって、ありのままのかけがえのないものをすべて受け入れるテナーの愛情から、あらゆるきれいごとや建前がきれいに消されている。

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ある種の笑いというものは、心のいちばん奥にある暗い穴のようなもので、なにかあると私たちはそこに逃げ込んで、外の世界の嵐をやりすごす。そうやって私たちは、バランスを取って、かろうじて生きている。

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最後にひとつの話を書く。これもまた不謹慎な笑いについての話ではあるが、すこしこれまでの話とは異なるかもしれない。だが、私もまだうまく言い表せないのだが、どこかでつながっていると思う。

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ルイスは南米生まれの若いゲイの男性だ。はじめて会ったときは、そういうことは知らなかった。ただ、おもしろい、気のいい、明るい、よく笑うやつだと思っていた。ルイスと2回めに会ったその夜、友だちと大勢でわいわいと飲んでて、いろんな話をしてるうちに、あれ、と思うことがあった。会話のなかに、田亀源五郎の話がたまたま出たのだ。南米出身で、子どものときに日本に来て、普通に暮らしてきたのに、有名なゲイ・アーティストである田亀源五郎を、なんで知ってるんだろう。

深夜、私もかなり酔っぱらっていたので、躊躇なく「君、ゲイだよね?」と聞いた。一瞬の間があって、ルイスは「は、はい」と答えた。

そこからその話になって、みんなでルイスに、ゲイであることにまつわるいろいろなことを教えてもらった。私とルイスは親友になり(その場の全員がルイスと親友になった)、彼のことを本に書いた。

アウティング、という言葉がある。いろいろな意味で使われるが、たとえば、ゲイであることを隠して生きているひとのことを、みんなにばらしてしまうことなどをさす。だからこれは、自分から決心して打ち明けるカミングアウトとは、まったく異なることである。それは、絶対にやってはいけないことのひとつだ。

私は、当たり前だが、それ以前もそれ以後も、こういうことをしていない。私はルイスがゲイであるかどうか知らずにたまたま「当ててしまった」のだが、これもアウティングの一種である。

私はそれまでもしたことがなかったし、それからも一度もしていない。あの夜のあれは、人生でたった一度しか来ないタイミングだった。死ぬまで二度としないと思う。

ただ、あの夜、私はほんとうにうれしかったし、楽しかった。心から笑った。ルイスもよく、あの夜のことを思い出して、あの一言がなければ、こんなにみんなと打ち解けることは絶対になかったと言っている。





写真:西本明生( http://akionishimoto.com/


著者紹介
岸 政彦(きし・まさひこ)

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