10.09.2014

理不尽な進化 まえがき



本ブログで2011年から2013年にわたって連載していた『理不尽な進化』が、このたび書籍になります。2014年10月25日から書店店頭にならびはじめます。これまで連載を読んでくださってありがとうございます。大幅な加筆修正がなされ、最後にはおもわず息をのむ眺望がまっていますので、ぜひ本を手に取ってみていただけるとうれしいです。本の「まえがき」を公開いたします。(編集部)


ま え が き


この本のテーマ

この本は「理不尽な進化」と題されている。ちょっと変なタイトルかもしれない(私もそう思う)。そもそも、進化が理不尽であるとは、どういう意味だろうか。

私たちはふつう、生物の進化を生き残りの観点から見ている。進化論は、生存闘争を勝ち抜いて生存に成功する者、すなわち適者の条件を問う。そうすることで、生き物たちがどのようにしてその姿形や行動を変化させながら環境に適応してきたかを説明する。そこで描かれる生物の歴史は、紆余曲折はあれどサクセスストーリーの歴史だ。生き残った生物は、なんらかの点で生存に有利だったからこそ生き残ったのだから。

しかし本書は、それとは逆に、絶滅という観点から生物の進化をとらえかえしてみようと提案する。敗者の側から見た失敗の歴史、日の当たらない裏街道の歴史を覗いてみるのである。

どうしてそんなことをするのか。生物の世界では、生き残りという表街道よりも、絶滅という裏街道のほうが、じつはずっと広いからだ。生物の歴史が教えるのは、これまで地球上に出現した生物種のうち、じつに九九・九パーセントが絶滅してきたという事実である。私たちを含む〇・一パーセントの生き残りでさえ、まだ絶滅していないというだけで、いずれは絶滅することになるだろう。

生存を白字で、絶滅を黒字で年表をつくったとしたら、生物の歴史はまったくの黒歴史になってしまうはずだ。四〇億年ともいわれる生命の歴史は、ひと握りの生き残り事例の歴史であるとともに、それを圧倒的に上回るスケールで演じられた絶滅事件の歴史なのである。この事実だけをとっても、生物の歴史における絶滅現象の重要性がわかるだろう。さらに、地中に眠る化石記録が私たちに語るのは、生き物たちが不本意にも滅んでしまうことで、革新的な進化が実現されるチャンスが提供されるということだ。そうであるならば、むしろ絶滅という観点こそ、生物の歴史を真正面から受け止めるために必要だと思えてこないだろうか。

そうするとどうなるか。絶滅の観点から生物の歴史を眺めてみると、生き残りのサクセスストーリーとはまったく異なった眺望が開けてくる。それは、生物の歴史、そしてその進化の道筋というものは、ずいぶんと理不尽さに満ちているという眺望だ。

生き物たちがどのように絶滅していったかを調べていくうちに、その多くは劣っていたからというよりも、運がわるかったせいで絶滅したにすぎないということがわかってくる。大いなる自然は恵みをもたらすだけではない。それは生き物たちを特段の理由なく差別したり、えこひいきによって左遷したり、はたまたロシアンルーレットを強制したりと、気まぐれな専制君主のようにふるまう。絶滅の歴史は、なんと理不尽な、と思わず嘆じてしまうような事例に満ちている。いま私たちが目にすることができる生物の多様性も、こうした理不尽な歴史の産物なのである。

以上が、「理不尽な進化」というタイトルに込められた意味だ。では、絶滅という観点から見えてくる生物進化の理不尽さは、私たちになにを教えてくれるだろうか。それがこの本のテーマである。

誰のための本か

本書は専門書や学術書ではない。広く一般の読書人に向けた(少し長めの)エッセイである。

絶滅といい理不尽さといい、なんと辛気くさいテーマだと思われるかもしれない。でも、これは生き物たちの見事な環境への適応のありかたと同じくらいに興味をそそり、好奇心を刺激してくれるテーマだと私は考えている。読み進めるうちに、それが私たちに深い感慨をもたらすだけでなく、私たちが自分自身をどのように考え、つくりあげていくかという課題へとつながるものでもあることが実感されると思う。また、いままで進化というものにそれとしては興味を抱いたことがないという人にも、じつは手にとってみてほしい。そういう人にとっても、本書の内容はきっと身に覚えがあるだろうから。

私はこれまで、科学の知見が私たちの物の見方にどのような変容をもたらすかという関心から、科学と哲学が交わる境界領域で何冊かの本を書いたり翻訳したりしてきた。しかし、進化論の専門家というわけではない(それどころか、なんの専門家でもない)。専門家でないということは、それ自体まったく自慢できることではないのだが、でも、そのことでかえって、私たちがどのように進化論を理解あるいは誤解しているかを、素人の身になって考えるということにかけては、ひょっとしたら一日の長があるかもしれない。

そのようなわけで、本書が照準を合わせているのは、非専門家である私たち一般人による進化論理解を理解することであり、可能ならばそれをより豊かにすることである。だからこれは、進化論を理解しようとする本であるとともに、私たち自身をよりよく理解しようとする試みでもある。とはいえ、専門家にも読んでもらいたいとは思う。これは、専門家と素人の接点を提示する本でもあるから。

なお、本書には専門書のような註はつけないことにした。その代わり、本文の内容とかかわりがあり、かつ本書を閉じたあとに読んでほしい、あるいは本書を放り出してでも読んでほしいと思える諸作品を、註のかたちで紹介している。註だけを読んだ場合には簡単な作品ガイドになるという寸法だ(詳しい書誌情報は巻末の参考文献表に掲載してある)。

この本の由来

本書の着想は、私が学生時代に読んだ二冊の本から生まれた。その二冊とは、動物行動学者リチャード・ドーキンスの名著『利己的な遺伝子』と、社会学者の真木悠介が著した『自我の起原』である。

勉学などとは無縁の卓球少年だった私は、わけもわからぬまま迷い込んだ大学の図書館でこれらの書物と出会い、いっぺんに進化論の魅力にとらわれてしまった。前者を読んで、生き物たちの見せる適応の精妙さと、それを快刀乱麻を断つがごとくに説明してしまう現代進化論の威力に目がくらんだ。後者を読んだときには、そうした進化論の知見が、人間の社会を理解するよすがになるというだけでなく、私たち一人ひとりの自己理解をも変容させずにはいないだろうという予感に震えた。

これらの書物に導かれて大学のゼミで書いた論文もどきが、この本の原型となった。一九九四年のことだ。でも、なにかが足りなかった。数年後、古生物学者デイヴィッド・ラウプの著書『大絶滅』に出会い、絶滅という観点を得て、ようやくすべてのピースがそろったと感じた。本書の大まかな構想が固まったのは、文筆業をはじめる直前の一九九九年ごろである。この本は、それから十数年、学生時代の進化論への耽溺から数えると足かけ二〇年のあいだにかたちをなしてきた、一連の問いと答えの報告である。

結果として、本書は次のような構成となった。軽い導入のあと(序章)、絶滅という観点から生物の歴史を彩る理不尽さを味わい(第一章)、そこで得られた眺望をもとに私たちが漠然と描いている通俗的な進化論のイメージの内実とその問題点を指摘し(第二章)、それにたいして本物の進化論がもつ意義と有効性を専門家同士の論争を通じて明らかにしたうえで(第三章)、第二章で描いた素人の混乱と第三章で描いた専門家の紛糾の両者がともに私たちの歴史と自己認識をめぐる終わりのない問いかけに由来するものであると論じる(終章)、というものだ。

探究をつづけるうちに、思ってもみなかった方向に議論が展開することになった。もともとの出発点は、理不尽な絶滅の犠牲になった生命史の敗者たちにレクイエムを捧げるという、シンプルではあるが多分にセンチメンタルなものだった。現在から振り返ってみると、率直にいって「どうしてこうなった」と思う。でも結果として、私たちが進化論に接するうえで重要だと私の考えるトピックがすべて詰め込まれることになった(私自身が書いたのだから当たり前ではあるのだが)。ふだん顧みられることがない絶滅という視点、私たち素人の通俗的進化論の特徴と問題点、それにたいする本物の進化論の核心と重要性、そして専門家と素人がともに抱える課題、といった具合に。

以上のとおり、この本の主目的は、進化論を解説したり評価したりすることよりも、あくまで進化論と私たちの関係について考察することにある。だからこの本は、超一流の専門家たちの議論を中心に展開するけれども、ある意味でジャーナリスティックな本であるし、一種の人文書でもあるかもしれない(とはいえ、解説がほしいという人も本を閉じる必要はない。本書の第二章と第三章がそれに該当する)。

このような、ちょっと変なタイトルであるだけでなく、ちょっと変な内容をそなえた書物の関心が、いったいどれだけ共有されうるものなのか、正直なところ私にはまったく見当がつかない。ただ著者としては、読者のみなさんに本書の関心が共有され、ともに考えてもらえるきっかけになるなら、これ以上のよろこびはない。

敬愛する小説家の大西巨人は、二〇世紀文学の記念碑的超大作『神聖喜劇』について、次のように言っている。もし自著(『神聖喜劇』)が有志具眼の読者三百人に出会うことができたなら、それは望外のよろこびである。同じように、もしそれが三千部も売れたならば、「以て瞑すべし」であろう。しかし、著書をあえて公に刊行した以上、それが三億部か三十億部か売れることも願望せざるをえない、と。

私も同じ気持ちである。





吉川浩満『理不尽な進化――遺伝子と運のあいだ』

99.9%の生物種が消える?
生存も死滅も運次第?
この世は公平な場所ではない?

「絶滅」の視点から生命の歴史を眺めるとどうなるか。
進化論が私たちに呼び覚ます「魅惑と混乱」の源泉を、科学と人文知の接点で掘り当てる、進化思想の冒険的考古学!

[朝日出版社ウェブサイト][Amazon.co.jp]


[著者紹介]

小社刊行の著者の本
心脳問題
心脳問題―「脳の世紀」を生き抜く

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MiND マインド (ジョン・R・サール著)