3.16.2018

末井昭
自殺した息子に対して加害者であるという意識を持ち続ける映画監督 原一男インタビュー

『自殺』で自身の半生を丸裸でひょうひょうと綴った末井昭さんが、自殺に関係するさまざまな人と出会い、いろんな場所を訪れながら、人間と自殺についてぐるぐる考えてゆく、そんな書籍を制作中です。今回は、23年ぶりの新作ドキュメンタリー映画『ニッポン国VS泉南石綿村』を公開中の映画監督・原一男さんとのお話を公開します。息子さんが自殺された原一男さんとの自殺の話。ぜひどうぞ。(編集部)

原一男さんは元々は写真家志望でした。一九六九年に障害児をテーマにした「ばかにすンな」という写真展を銀座ニコンサロンで開催したとき、それを観に来た小林佐智子さんと出会います。その後、小林さんの提案で映画をつくり始め、原さんの彼女だった武田美由紀さんもそれに参加します。一九七二年、最初の映画『さようならCP』が完成すると同時に、小林佐智子さんと「疾走プロダクション」を設立し、小林さんは映画と私生活両方のパートナーとなります。

『さようならCP』は、重度の障害者は町に出られなかった時代に、脳性麻痺者たちが街頭で不自由な体を積極的に人目に晒していく映画です。観ている自分が障害者をどう見ているかを問われる映画であるとともに、観終わると心が解放されている不思議な映画でした。

その二年後に公開する『極私的エロス 恋歌1974』は、二人の女性の自力出産の映画です。原さんの元恋人の武田美由紀さんが、原さんのアパートで自力出産し、それに続いて、小林佐智子さんも自力出産します。前彼女と現彼女が同じ部屋で自力出産し、それを撮るという、なんとも変わったショッキングな映画です。画面いっぱいに開かれた股間から子供の頭が出てくるところは、どんな映画よりも迫力ある感動的なシーンです。

この映画が話題になって、原一男の名が世に知られるようになります。僕はこの映画をリアルタイムで観ていないのですが、公開当時はどこの会場も満員だったそうで、四谷公会堂では大島渚監督も入場者の列に並んでいたそうです。

その後、五年かけて完成した、奥崎謙三を追ったドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』(一九八七年)が大ヒットします。原一男の名前をこの映画で知った人も多いのではないでしょうか。

奥崎謙三さんという人は、神戸のバッテリー屋さんなのですが、天皇の戦争責任を追求する過激なアナーキストでもあります。僕はこの映画が公開される十五年前、奥崎謙三さんが書いた本『ヤマザキ天皇を撃て!』(三一書房)を読んでファンになりました。

1.31.2018

更新情報 

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★2017年1月31日 全卓樹さん「南国科学通信」第5回 流星群の夜にを更新しました!


2017年12月29日 全卓樹さん「南国科学通信」第4回 アリと自由を更新しました!

2017年12月13日 全卓樹さん「南国科学通信」第3回 アリたちの晴朗な世界を更新しました! 

2017年11月22日 全卓樹さん「南国科学通信」第2回 世界の中心にすまう闇を更新しました! 

★2017年11月22日 仲谷正史+傳田光洋+阿部公彦「触感 × 皮膚 × 文学 「触れること」をめぐる冒険」を公開しました! 

2017年11月8日 全卓樹さん「南国科学通信」第1回を更新しました! 

末井昭「聖書と生活」第1回 世間がひっくり返る 第2回 他者の中に自己を見る 

加藤陽子さん「戦争が平場に降りてきた時代を生きる」フェア

岸政彦『断片的なものの社会学』特設ページ 

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おしらせ
・安東量子+ジャック・ロシャール「渡し舟の上で――現存被曝状況から、現存被曝状況へ」 第2回
・梶谷懐「現代中国――現在と過去のあいだ」第13回

上記の2つの連載は、下記のサイトに移行しました。ひきつづき、下記のサイトにて、お楽しみください。
「路上の人」http://editionhomoviator.blogspot.jp/

-----> これまでの連載のもくじはこちらです。

南国科学通信:第5回 流星群の夜に

全卓樹
第5回 流星群の夜に


流れ星はどこから来たのだろうか。

流星に願いをたくならわしは、昔から世界中に広く行き渡っている。予告なく現れて、一瞬の光芒とともに消え去る流星は、天界からつかわされた僥倖ぎょうこうの使者のように思えるからだろう。

流れ星は天の星が落ちて来たもの、という我々の素朴な推論は、古代の学術界では否定されていた。アリストテレスの著作には、流星は大気圏内の現象であって天界とは無関係、と書き残されているのである。

しかしこの場合は、学者たちの説よりも素朴な理解のほうが、真実に近かったことになる。現代の天文学によると、流星の正体は、彗星すいせいや小惑星がその軌道上に撒き散らす、直径10cmほどの岩石や氷の欠片かけらである。これが地球の重力に捕らわれて、大気中を燃えながら落ちていくのが流星なのである。地球が惑星や小惑星の軌道上にある欠片の多い場所を通過すると、一時間に何十もの流れ星が降り注ぐ流星群となる。


しし座流星群。
1868年11月13日~14日の夜12時から5時にかけて観察されたもの。
Trouvelot, E. L.
NEW YORK PUBLIC LIBRARY
しし座流星群は1833年には北米で1時間あたり5万個、
1866年には1時間あたり6千個が観察されたという。


たいていの流星は大気中で燃え尽きてしまうが、なかには大きすぎて燃え残り、地上まで落ちてくるものがある。これが隕石だ。隕石の成分は地表のほかの物質とはっきり異なっていて、元になった彗星や小惑星の構成要素を推測する手がかりとなる。

場合によっては欠片ではなく、彗星や小惑星がほぼそのまま降って来ることもある。ごく最近でも1994年7月に、シューメイカー=レヴィ第9彗星が木星軌道に捕らえられて、木星の潮汐力で20以上に分解させられた末、次々と木星表面に飲み込まれていくのが見られた。


木星に落ちた
シューメイカー=レヴィ第9彗星の衝突痕
(衝突痕は地球とほぼおなじ大きさ)
Hubble Space Telescope Jupiter Imaging Team


木星に比べて重力の弱い地球では、このような直接の衝突はずっとまれであるが、それでも何千万年に一度くらいは起きているはずである。仮に直径数10kmの彗星がそのまま降って来ると、そのエネルギーは人間が現在保有する核兵器全部の数万倍となる。複数の強い証拠から考えて、実際に今から6600万年前、巨大流星が地球に降ってきて、巨大地震と津波そして十年近く続く噴煙による「隕石衝突の冬」を引き起こしたらしい。地上の生物の95%が死に絶えた、いわゆる「中世代=新世代境界」の大絶滅である。そしてこの特大流星のおかげで、恐竜がほぼ絶滅して哺乳類が地上の主人になった。このことを考えれば、人間が流れ星を美しいと感じてそれに願いをかけるのは、とても理にかなったことにも思えて来る。

流れ星がもたらすものは、破壊と生態系の交代にとどまらない。地上にある水の少なくとも一部は、巨大な彗星または小惑星が地球と衝突したことでもたらされた、とする説が有力である。また生命の基礎となる有機物の多くが、地上でゆっくり生成されたのではなく、彗星起源の隕石に付着して地上にもたらされたとする学説もある。それどころか原始生命そのものが宇宙起源だとする説、いわゆるパンスペルミア説も、生物学界や天文学界の一部に根強く存在するのだ。

流れ星なしでは、おそらくは読者諸氏が今、この文をこうして読んでいることもなかっただろう。一瞬の光芒とともに消え去る流星は、天界から遣わされた僥倖の使者であり、人間の生存のための要件の一つだったのである。