5.28.2015

断片的なものの社会学●朝日出版社特設ページ


岸政彦『断片的なものの社会学』特設ページ



紀伊國屋じんぶん大賞2016、第1位!
祝・韓国語版刊行!


「断片的なものの社会学」試し読み

著者インタビュー/対談

  • 書斎の窓 有斐閣「社会学はどこからきて、どこへ行くのか」北田暁大さん+岸政彦さん対談
    第一回 第二回 第三回 


ご紹介・ご高評をいただきました。(多謝!)



このような「誰にも隠されてはいないが誰の目にも触れない」、徹底的に世俗的で、孤独で、膨大な語りの存在を、著者は美しいと言う。

この感性に私は共感する。そして、これまでいろいろな局面で自分が感じてきた、簡単に形容できない、とても小さく、無数にあり、つかんでもすぐにこぼれて消えてしまうような人間の「良さ」を言葉にしてくれたことに感謝したい。私がシティボーイズのコントに感じていた面白さは、その「良さ」の部分がネタになっているからかもしれないとも思えた。
断片的な名文集のような、コント集のような本書。教えてくれた友人に、私は頭が上がらない。

――星野概念さん(「産経新聞」2017年8月6日より)



きっとこの本に出てくる「投げ出された断片たち」に対する岸さんの眼差しというか、絶妙な距離のとり方にほっとする人が結構いるんじゃないかなと。自分も、距離のことばかり考えています。

――大友良英さん(『週刊現代』2017年8/12号より)



人との関わりや日常の中で、どこへもたどり着かない出来事をあえて書いているのね。無理に意味を押しつけない文体が心地よくて、不思議な余韻に包まれる。自分の中にいい意味で余白が生まれた気がする。

――島本理生さん(『anan』2016/6/15号)



じんぶん大賞に岸政彦さん決定 昨年刊行の「人文書ベスト30」を選ぶ「紀伊國屋じんぶん大賞2016」(紀伊國屋書店主催)が発表され、社会学者の岸政彦さんの「断片的なものの社会学」(朝日出版社)が大賞に決まった。読者のほか同書店の選考委員、スタッフ有志の投票結果を集計した。今回で6回目。「断片的なものの社会学」は、大阪や沖縄で多様な人生の聞き書きをしている龍谷大学准教授の岸さんが、その際に出会った「解釈できない出来事」を考察したエッセー集。受賞コメントで岸さんは「路上の小石のように無意味で断片的な私たちが、必死で生きようとするときに『意味』が生まれる。そうした『存在の仕方』について今後も書いていきたい」とした。

――共同通信の配信で記事にしていただきました。ありがとうございます!




(…) そんな矛盾と違和感に仄(ほの)かに気づいて生きる者たちにとり、本書は救いと映るはずだ。社会学者である著者は、個々の人生の一場面を一般化し全体化するのは暴力だとして、意味づけることすら自重しそれらの場面をただ見つめ、記録する。(…) 「世界に一人だけの自分」の無根拠な肯定のかわりに、ただ「わからない」と悩む。そこが本書の美しさであり誠実さだ。 だからこそ、本書が読者の安住の地でも著者の踊り場でもなく、出発点であるのを願う。本書を読む行為は、「このささやかな私」を癒したり、世の流行(うれてること)をただキャッチし満足するだけでなく、自分(たち)の抱える矛盾をめぐる、酷薄な問いの扉を開けることだから。その先に希望のある扉を。

――市川真人さんご書評(朝日新聞「売れてる本」、2016/02/21)
☆以下のウェブサイトで全文をお読みいただけます。
 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12219950.html




 ――上野千鶴子さんご書評(熊本日日新聞、2015/11/22) ※クリックで写真を拡大できます。 上野先生と、熊本日日新聞さまのご厚意で紙面を転載いたします。




いま最も注目を集める社会学者の異色作。小さなエピソード、様々な風景描写が「あなたの社会風景」を揺さぶり、拡張する。

――荻上チキさん(「書評委員が薦める『2015年の3点』」、2015/12/27)
☆以下のウェブサイトで全文をお読みいただけます。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2015122700009.html



ここに描かれているのはリアルなだけの市井の人たちの話である。つかみどころがないし、たまにいい話で感動しようとするとするっと逃げる。階段がもう一段あると思って足を出したらなかったときのようにスルっとなる。

――林雄司さん(本の話WEB「偏愛読書館」



 長い間、少数者(マイノリティー)の聞き取り調査を行ってきた岸政彦は、女子学生たちを日雇い労働者の町・釜ケ崎に同行させたときの経験に触れ、多数者は少数者と出会うべきだとしながら、同時に、そのことが(どちらにとっても)、「暴力」になりうるとした〈6〉。多数者にとっては「怖い」思いがし、少数者にとっては「見せもの」にされた思いがする場合があるのだ。それでも、岸はこう書かねばならなかった。 「この社会にどうしても必要なのは、他者と出会うことの喜びを分かち合うことである。こう書くと、いかにもきれいごとで、どうしようもなく青臭いと思われるかもしれない。しかし私たちの社会は、すでにそうした冷笑的な態度が何も意味を持たないような、そうしているうちに手遅れになってしまうような、そんなところにまできている」 人と人の間を切り離す「壁」を越えなければならない。それが、どんなに厳しいことだとしても。閉じこめられた「壁」の内部で成長する憎悪や恐怖によって、この社会が崩れ落ちてしまう前に。

――高橋源一郎さん(「(論壇時評)LGBTから考える 困難でも、壁越えよう」朝日新聞、2015/10/29) ☆以下のウェブサイトで全文をお読みいただけます。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12040087.html




この本は、奇妙な「外部」に読者を連れていく。
大冒険ではない。奇妙に断片的なシーンの集まりとしての社会。一瞬きらめく違和感。
それらを映画的につないでいく著者の編集技術には、ズルさを感じもする。美しすぎる。

――千葉雅也さん




社会は、断片が断片のまま尊重されるほど複雑でうつくしい輝きを放つと
教わった。

――平松洋子さん(東京人)




これはまず第一に、無類に面白い書物である。 語る人たちに、共感ではなく理解をベースにひたすら寄り添おうとするスタンスは、著者が本物の「社会学者」であることを端的に伝えている。

――佐々木敦さんご書評(北海道新聞、2015/08/16) ☆以下のウェブサイトで全文をお読みいただけます。 http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/books/2-0028271.html





読み進めてすぐに、作者の物事と出来事の捉え方に、すっかり魅せられた。 読者としてだけでなく、ものを書く人間として、気づかされたことも大きい

――唯川恵さんご書評(読売新聞、2015/8/23)






その文章は、まるで森の奥の湖畔に用意された手術台で薄皮を一枚ずつ剥がしていくように、静かに、私たちが隠蔽している真実に迫ってくる。そして、人生そのものの「無意味さ」を明らかにしてしまう。孤独の本質も淡々とあらわれる。 急速に寛容性や多様性を失いつつある世界で、そこに生きる人々がもう少し「無意味さ」を認められれば、どんなにいいか

――長薗安浩さんご書評(『週刊朝日』2015/7/14) 以下のウェブサイトで全文をお読みいただけます。 http://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2015071500119.html





「社会」をそれとして示そうと試みること。 きわめてありきたりで自明で日常的な事象を、肯定し、語り続けること。

――大矢靖之さんご書評(「図書新聞」2015/7/11) 以下の図書新聞のウェブサイトで全文をお読みいただけます。 http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3215&syosekino=8510



この本は何も教えてはくれない。
ただ深く豊かに惑うだけだ。
そしてずっと、黙ってそばにいてくれる。
小石や犬のように。
私はこの本を必要としている

――星野智幸さん



書店員さんがブログ記事を書いてくださいました。

私たちは自分自身が対象者に共感できるかどうかを決めるときに、何を基準にしているのだろう。(…)公平な観察者として社会を記述することはたやすいが、対象者によりそいすぎることで公平性を失い、おろおろしたり、悲しんだり、喜んだりでしか見えないことはかならずあると思う。著者はそんなふうに、さまざまに一喜一憂し、ある意味不公平に社会と関わりあっていくということを実践していくことで、私たちに世の中の面白さを、「別のかたち」で見せようとしているのではないかと思わされた。 私は書店の店頭でいろんなひとたちのいろんな言葉を目の前で、または電話を通じて耳にしているが、なるべくその言葉を「消化せずに持ち続ける」ことが大切なのだと思い続けてきたが、そのことはじつは本当に大変で、そんなに長く続けられるものではないなと思ってきた。けれどもこの著者のような方が世の中にいるのなら、もう少しくらいはやってもいいかと思わされた。そういう意味では、この本に勇気づけられたひとは他にもいるかもしれない。

――こんな本いかがっすかあ 書店従業員の読書日記





新宿のZARAで私はチノパンを見ていた。 平日の夜、外は雨で、お客さんは少なかった。 いくつかのパンツズボンからこれにしようと決めたカーキ色のチノパンは私のウエストに合うサイズがちょうどなく、一つ上のサイズと一つ下のサイズどちらを買うべきか、あるいは見切りをつけて別の店に行くべきか考えていた。 すると隣りに四十代くらいの化粧の濃い女性がやってきて、私が見ていたチノパンを引っ張り出して物色し始めた。 私は少し場所をずれて隣の棚の黒いパンツを見るともなしに見ていると、唐突に「38と95はどっちがいい!?」とその女性が口にした。 独り言?と思いつつ横を見るとその女性と目が合ってしまい、女性はあらためて私に向かって 「38と95はどっちがいい!?」ともう一度言った。(…) 誰にでもある。 誰でも持っている。 けど見落としてたり、存在すら気づかなかったりする。 生きているとあちこちに人生の欠片は落ちている。 そんなこぼれおちた欠片を集めて作った宝石のような本です。読んでみてください。

――伊野尾書店WEBかわら版




ブックフェア随時開催中。



トークイベントを行ないました。

岸政彦『断片的なものの社会学』× 星野智幸『呪文』
物語を生み出す / 物語が生み出す  
2015年9月27日 (日) 青山ブックセンター本店

★当日のお話は、『新潮』2015年12月号に「社会の断片と物語の呪文」と題して掲載されました。ぜひご一読ください! http://www.shinchosha.co.jp/shincho/newest/



以下、『新潮』2015年12月号「社会の断片と物語の呪文」より、一部を転載します。

●星野さん 今はすぐに「答え」を求められる風潮があります。小説でも、それを読んだことでどんな答えが出たかという「解決」が要求される中で、岸さんは、答えを出さない、読めば読むほどただ迷ってしまう本を出された。社会学者がこれを書いたことに驚きました。僕の文学の定義は、「言葉で書けないものを言葉で書く」というものです。その意味で、この本は素晴らしい文学だと思いました。(…)

●岸さん 『断片的』は、断片的なものに価値があるという立場とはまったく正反対の本です。「ディテールに神が宿る」みたいなことは実は全然思っていない。本当に意味がないもの、誰にも知られていない、見られていないものがあって、当然そこには神も宿っていない。単に「あ、石だ」という感覚だけがある。その「あ、石だ」を書きたいと思ったんです。(…)


●星野さん 岸さんの本を読むと、言葉にすごくこだわりがあることを感じます。さっきの犬が死んだ話も言葉からですし、ココアだって物質ではあってもやはり言葉です。断片をいつも言葉の側から感じて、言葉じゃない向こう側まで行ってしまう。


●岸さん 生活史の聞き取り調査をしていると、物語が生まれてくる瞬間、語りが生まれてくる瞬間を感じるんです。


●星野さん それ、すごく気になる。


●岸さん 物語が出てくる瞬間って、「絶対的な他者の裂け目から」とか「トラウマから」みたいな大げさなものからじゃない。物語は、いつ、どこから生まれるか。それはアポ取りをするところから生まれるんです(笑)(…)星野さんにとっては、小説が出てくる瞬間はどこから始まるのですか。


●星野さん 『呪文』の場合は、一年ぐらい長い構想の期間がありました。このあいだ自分でいいこと言うなと思ったのですが(笑)、小説を書くという行為は、「帰りの切符を持たずに向こうの世界に移住しちゃうことだ」と。(…)



(イベント告知文より) 社会学の論文には載らないような、「物語の外側」に惹きつけられてきたという岸政彦さん。そして、フィクションにおいて、「社会の見る夢」を精密に切り出し拡大してみせる星野智幸さん。いったい物語とはなんでしょう。それはどのように作動するのでしょう。この社会に流通する「邪悪な物語」に対抗するには? 物語の外側にあるものとは? このたび、本の刊行を記念して、ご友人でもあるお二人に、ざっくばらんに語り合っていただきます。 


岸 政彦 × ヤン ヨンヒ
交差する人生、行き交う物語

2015年6日21日(日)午後2時 リブロ池袋本店(西武池袋本店別館8階 池袋コミュニティ・カレッジ)




★当日のお話を、ウェブシノドスさまに掲載していただいています。以下のリンク先より、ぜひお読みください。
【SYNODOS】交差する人生、行き交う物語 岸政彦×ヤンヨンヒ http://synodos.jp/society/14848



★営業部(橋)によるイベント&書店まわりレポートはこちらです。

(イベント告知文より) 大阪出身の在日コリアンのヤン ヨンヒさんは、「帰国事業」で北朝鮮にわたった三人の兄を中心に、ふたつの国のあいだで引き裂かれるかぞくの物語を描いてきました。済州島出身で朝鮮総連幹部の父親、北朝鮮で「帰国者」として暮らす兄。どうにも動かしがたい無情な現実のなかで、嘆きながら、笑いながら、様々な問題に立ち向かい、生きる道を探していく人びとの日常を、けして声高にではなく、淡々と描いています。 一方、このたび『断片的なものの社会学』を上梓した岸政彦さんは、沖縄を中心に、個人のライフヒストリーを聴き取りながら、アイデンティティや差別について考えてきました。はじめてのエッセイ集となる『断片的なものの社会学』では、著者が一瞬すれちがった様々な人びと──夜の仕事をしている女性や、元ヤクザや、路上のギター弾きのおっちゃんや、大阪の普通のおばちゃんや、学生や、猫や犬――との断片的な出会いを通して、人生の偶然性や、生きることの孤独や、そこにあらわれる社会的なものについて考えています。 ヤン ヨンヒさんも、岸政彦さんも、ある社会のなかで「よそ者」として生きること、一人ひとりが抱える人生の物語を語ること、そしてそのことで、「壁」の向こうの「ふつうの人」への共感を取り戻すことを、重要なテーマとして、表現・研究活動をされてきました。 『断片的なものの社会学』の「祝祭とためらい」と題する章において、岸政彦さんは、ヤン ヨンヒさんの映画「かぞくのくに」に触れながら、他者と出会うことの喜びを分かち合うことと、他者の領域に踏み込まず立ち止まることとが、ともに私たちには欠けていると語っています。 ますます排他的に、狭量になっていく世界のなかで、他人を理解するひとつの入り口として「個人のライフヒストリー」があります。そして同時に、それは、容易な理解を拒むものでもあります。今回、『断片的なものの社会学』の刊行記念として、このお二人に、一人ひとりが隠し持つ人生のストーリーについて、それを語るということについて、その語りのなかにあらわれる国や社会について、存分に語っていただきます。

岸 政彦(きし・まさひこ)
1967 年生まれ。社会学者。大阪市立大学大学院文学研究科単位取得退学。博士(文学)。龍谷大学社会学部教員。研究テーマは沖縄、被差別部落、生活史。著書に『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版、2013 年)、『街の人生』(勁草書房、2014 年)など。
ヤン ヨンヒ
1964年11月11日大阪府大阪市生まれ。ニューヨークのニュースクール大学大学院修士号取得。6年間ニューヨークに滞在後、初の長編ドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」を発表しベルリン国際映画祭ほかで受賞。2012年初の劇映画「かぞくのくに」を発表、ブルーリボン賞作品賞、讀賣文学賞ほか映画賞、文学賞多数受賞。